里山の自然環境(過去・現在・未来)

「里山の自然環境」のカテゴリーでは里山の社会環境・自然環境の移り変わりを過去と比べながら見つめ直したいと思います。

増えてしまった耕作放棄地
里山の変化は自然環境だけでなく社会環境の変化を無視して考える訳にはいきません。里山の風景を見直し、その要因や背後にある理由を考えます。世代交代や価値観の多様化だけで里山が変わってしまったのか? どこで何を間違えてしまったのか? そして何らかの復活の糸口が見つかればと思います。このカテゴリー内では、以下の・・・

川と生き物たち 
水辺の喪失による生体系の分断と植生の偏り

里山と稲作(そして誰も作らなくなった)
主食を自ら作らなくなった民族の行く末  

里山と畑の変化
消えゆく自給農地
以上の観点とともに順次、考察して行きます。

大きな流れとして、何がどんな変化をしてしまったのか
今、起こっていることはなんだろうか?! その理由や原因を現象面からだけでなく本質的な理由を見つけられないだろうか?  情報過多で「フェイクニュース」の多い現代では事実を見極める目が鈍っているのではないか? 明治以降は富国強兵、食糧確保、戦後は高度成長、社会保障の拡充、医療体制の整備、雇用の安定化が進み社会が発展することによって人々は幸せになってきたはずですが、何かスッキリしない感じがします。 確かに衛生面の改善や医療の進歩で長寿命化が実現し物理的にも豊になったことは違いないし否定もしない、今の生活が無いと困るのも事実。社会保障も他国よりもいいと思います。しかし、一見、幸福の様に見えるが何かを置き去りにして来たのではないか?

 望めば現金収入が可能な時代となって以来、消費者が意識しないまま目新しい消費財やテレビ、ネット情報の餌食となっているのではないか? これを本当に豊かになったと言うのだろうか? 物や金を手に入れるために価値ある自分の時間も奪われてしまっていないだろうか?

その違和感の理由は上記の3つのブログ記事の様に自然との分断、農作物の生産力喪失が起きた上に、更に生じた、経済格差による分断> 情報格差による分断>

その背景には、消費市場を拡大するための人口増加があった!

 江戸時代の終わりの人口は3300万人、100年足らずで1億2000万人へ急増、約4倍に。 人口増加とは作られた消費市場ではないのか? 明治以降、資本主義を永続化させるためには拡大し続ける消費市場が必要だったのです。この資本主義の実践するため誰も気付かないところでその下地を作ってきたのが明治以降の日本の本質ではないか?

原因は何か?
 ベースにあったのは農地解放か!?農地解放から長い時間をかけて波及した一連の出来事は・・・。 土地の所有権を個人に与えれば固定資産税を払わなければならない。つまりお金がいる。無ければ借金する。借金すれば利子を払う。さらに相続時には相続税を払い、相続によってさらに土地の細分化が進んでしまう。必要性の無くなった農地は、相続放棄? 耕作放棄?

 都市近郊の一部では大規模化し営農が成功しているように見えるが?これも作られた消費社会の一部ではないか?

 その作られた消費社会の中に組み込まれてしまうと永遠に「金」を稼がないと生きていけない。それも借金の利息を払いながら。「回転車のハムスター」の様に走り続けなければならなくなってしまった。

江戸時代や平安時代
 なぜ300年以上、体制が続いたのか?

「米(こめ)の役割」
例えば江戸時代はなぜ300年以上も体制が続いたのでしょうか?

「米」は食糧(主食)であり、物の価値の基準であり、通貨の役割もしていました。もちろん納税(年貢、法定通貨)もできました。米には消費期限があり「籾」で保存しても3年が限度で食べるか放出するかしなければなりません。つまり貯め込むことが出来ないため流通させることが必要でした。「米」は金(ゴールド)や現代通貨のように蓄財や利殖には向かない文字通り「通貨=カーレンシー(currency)流れるもの」です。「米」のもう一つの特徴は単一の発行元が無いため金利が無いと思います。 
 現代通貨にも「米」のような特長があれば「金(カネ)で金(カネ)を儲ける」必要もなく「金利」に支配されることも無くなるかも知れません。 
 もちろん不作による飢きんや米騒動、一揆などもあったかもしれませんが江戸時代は総じて安定した「流通」が行われていたように思います。

果たして小作人は不幸だったのか? 
 土地の管理者(地主)から田畑を借りて米や野菜が生産されていた時代に小作人は果たして搾取されて不幸だったのでしょうか。6:4の年貢の取り立ても実は「隠し田」があり年貢は30%程度だったらしいとも!? 現代のサラリーマンも30%は源泉徴収(健康保険を含むと)されます。不幸であれば何百年もこの仕組みは続かなかったと思われます。

さて、ここでもし、小作人が農業が出来なくなった場合、 
 管理者(地主)は別の小作人を割り当て耕してもらい土地としては存続が出来る仕組みだったのです。つまり全体としての生産量は維持できることになります。折角、開墾した農地を無駄にはできません。そして家長制度は農地を守り、その人材供給の仕組みだったのではないでしょうか?

しかし、現代はどうでしょう。 
 相続で土地が細分化され、離農が進み耕作放棄地だらけとなりました。「この、たわけもの!」とは「田を分けてはいけない=家をつぶすもの=ばかげたことをする」ことを言っているそうです。耕作されなくなった土地が生産すべきだった農産物は輸入、購入せざるを得ません。農地解放が時計仕掛けの装置として世代を越えたところで発動する土地の生産性を壊す仕組みだったのかも!。それを加速したのが昭和という時代だったのではないでしょうか?

 では、どうすれば農地の復活と維持管理が出来て意味ある生産へつなげられるでしょう?

 素人考えですが: この土地が小さな範囲(歩いて行けるぐらいのマイクロな範囲)で復活し有効な生産地として機能すれば、地域(ミニ)よりもっと小さな「マイクロ地産地消」が実現し、そのサイクルが回りだせば安全で低コストで新鮮な野菜の供給が実現できるのではないでしょうか。例えば、65歳以上で働ける高齢者と空いている土地を使い自家消費量の数倍ぐらいの規模で生産を行いマイクロ地域で消費する。これの運営を開始するための費用と組織、人材育成を公共的にお願いする。これからは土地と労力はたくさんありますので可能だと思います。また、「半農半X」や「複業支援」などで働き手を組成するなど。高齢者にとっても地元で年金プラスアルファの収入があれば何よりです。もちろん非営利で。

ただし、田舎特有の掟や人間関係を吸収する運営の仕組みが必要ですが! 

まとめ 
 里山の自然が変わってしまった状況。耕作放棄地の発生の原因は農地解放で小作人が土地の所有者になったことにより長期の農地の維持管理体制が崩壊し輸入作物が増え国内の農業が衰退。 荒廃した農地を「マイクロ地産地消」で復活を。

「米」のような特長を持った通貨が生活と地域経済の運営用貨幣(利子なし)として、また「小判」のような資産やインフラ用の通貨(利子あり)として共存している通貨体制は“あり”かも知れません。

最後に、

そして、何よりも、「現代経済システム」と「自給自足の農業」が共存できる社会システムが出来ないかと願うばかりです。
 コロナにより人々の意識の中に社会システムや「変化への見えない期待感」のようなものを感じられる今こそチャンスかもしれません。働き方の多様化と「複業支援」「半農半X」などと組み合わせるのもいいかも知れません。畑や田んぼの持っている力を信じて!!

里山モノジロウ

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